今回は,ニーチェ「ツァラトゥストラ」(ちくま学芸文庫版を参照しています)の,第一部ツァラトゥストラの説話〔5〕【歓楽と情熱とについて】を考察していきます。
今回は原文の論の進行と並行で解釈を述べるのではなく,中心的な話題をピックアップして,原文の伝えるところを読み取るために補う必要のある解釈を記していこうと思います。この記事を読む(読んだ)方には,ぜひ原文を読んでいただきたいです。
●原文中のキーワード…〈地上的な徳,諸徳の戦い〉
さて,ニーチェの記した難解な言葉,この解釈について私なりの見方を記していきたいと思います。その言葉とは,
「ああ,私の兄弟よ,果たしてきみは,或る徳がそれをみずから中傷し刺し殺すのを,いまだかつて見たことがないだろうか?」
というものです。読者の皆さんは,この言葉にどのような印象を受けますか?これは本節の中心的題目である「諸徳の戦い」を,毒針を自らに向けているサソリの例えを用いながら説明した箇所になります。私がこの言葉にうけた印象は,初めは「徳は善いものであって,周りに良い影響を与えていくはずのものであるはずなのに,自分を殺すというのは,どういう筋道の思考だろうか?良心が自分を苦しめるようなものだろうか?」などと考えました。
冒頭の「自らを刺し殺す」諸徳の戦いについて,私Pikeの読み取った解釈は,
【情熱は,その要求するところを自らに向けかえることによって諸徳をうみ,その徳を持つ人は,情熱の有していた全力の熱量で,その徳に自ら(同時に自らに対して)報いようとする(自己超克の戦い)中で自らを殺してしまうことがある。だからこそ,自らの持つ諸徳を愛すべきである。】
というものです。前提として,自らの徳について「善を意欲する」べきだとツァラトゥストラは述べているので,諸徳というのは道徳的,人間的なもろもろの徳を指していると考えます。この節において,ツァラトゥストラは最高位を切望するもろもろの徳の間の嫉妬が破滅をもたらす,という言い方がされていて,そのことを自己超克という観点から見たのが,私Pikeのこの解釈になります。※諸徳のことを,例えば謙虚さと自尊心のように相容れない上に明確に言語化できる徳だと考えると,諸徳の戦いは単なる葛藤ということになりますが,ニーチェは「きみはその徳を誰とも共有していない」と説明しています。私は,自分の徳が「名状しがたい」ものであるということは,つまりそれが自らに課している形にも言葉にもできない道徳的な欲求のようなものだと考えました。
ニーチェの書き方によると「どの徳も,きみの全精神を欲求し」とあるところと,「諸徳のどれもが」,「最高位を切望し」ているというところから,徳を一つの生き物のように捉えて,それらが「必然」的に戦うことで,破滅してしまうという理屈です。私Pikeの解釈は,生きているかのようなそれらの徳が情熱から生まれ,それを持つ人の人格に作用し作用されるところを,人物の体験する方の視点から言い換えたものになります。(したがって論旨からはそれてしまう部分もあります。)その内容は,例えることは難しいですが,例えば【復讐の情熱から,自らを省みることで正義という徳を生み,もう一方で犠牲になったものへの慈悲の徳も生み出す。しかし正義心は翻って自らが強く冷酷であることを求め,同時に自らに対しても正義に忠実であることを求め,自らに対して冷酷であることを求める。もう一方で,慈悲心は冷酷さを否定するために正義心と葛藤する。正義心の抱える厳しさ,あるいは慈悲心との葛藤によって破滅してしまう。】というような解釈になります。ここで注意点は,先に(※)で記したように「諸徳」を’葛藤する二つの相反する徳’と捉えるか,それとも’言葉にできない道徳的欲求(=善)としての徳が抱える矛盾した要求’と捉えるかというところです。(【】内には両方の捉え方ができるように書いています。)私Pikeの解釈のポイントは,復讐の情熱に「求める」ことでそれに「求め返され」,その結果正義心が生まれ,正義心に「求める」ことでそれに「求め返される」といった,報いを求めれば報い返されるような循環構造です。それは善という精神的価値の持つ働きです。
私の解釈は以上です。今回の節での気づきとしては,「この悪(=戦争や戦闘)は必然である」といったニーチェの見解を見つけて,以前から疑問を抱いていた彼の歴史や社会に対する見方が少し分かりまたその理由を知りたくなったことや,「超克」という言葉の手がかりが掴めたかな,といったところです。また,ニーチェは,徳を一つの大きな価値として,人がそれに対して自らを捧げるべきものとして考えていたのではないかと考察しました(これはニーチェの思想の全体をみて判断すべきですが)。これはニーチェの宗教観とも言えるのではないかと考えます。
最後まで読んでいただき,ありがとうございます。これからも投稿を続けていきたいと思いますので,よかったらまたお立ち寄りください。
参考文献;ニーチェ『ツァラトゥストラ』上巻 吉沢伝三郎訳,ちくま学芸文庫,1993年
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